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| 所在地 | 神奈川県小田原市城内他 |
| 交通機関 | JR東海道本線 早川口駅下車 徒歩40分 | 別 名 | - |
| 略 歴 |
鎌倉時代初期、小早川遠平により、小峯山に館を構えたといわれる。 応永24(1417)年、大森頼春が上杉禅秀の乱で鎌倉公方足利持氏に属した功により、駿河鮎沢より移り入城して城を修築した。以降大森氏が5代が在城した。 明応4(1495)年、伊勢宗瑞が大森氏5代藤頼を奸計で追い、小田原城を占拠した。 伊勢氏は2代氏綱の時、関東を抑えるため北条氏を名乗るようになり、城は城下を含む広範な規模となっていった。 小田原城は5代に渡って北条氏の本城として繁栄したが、この間には上杉謙信・武田信玄の両雄から攻められており、またその攻撃にも耐える天下無双の堅城であった。 天正18(1590)年、豊臣秀吉の出した総無事令に違反して、北条氏の家臣が真田領の名胡桃城を攻略した。これに激怒した秀吉は、小田原への全国に出兵を発し、小田原の陣が勃発した。 秀吉は伊豆韮山城、箱根の山中城を抜くと、小田原城を攻囲した。 また前田利家・上杉景勝を中心とする北国軍は、武蔵鉢形城・松山城・八王子城を抜いて攻囲軍に合流した。 秀吉は当初箱根の早雲寺を本陣にしたが、笠懸山に陣城を築城した。これが石垣山一夜城である。 一夜にして白亜の城郭が出現した事に驚いた北条方は、急速に戦意を失い、北条氏政・北条氏照らの自刃、当主氏直の高野山蟄居を条件に開城開城した。 |
| 現 況 |
城址は小田原城背後の城山地区に当たる。山頂の旧本城地区には小田原高校が建ち周囲に土塁が散見される。 本城地区の多くは民家の敷地となっており、遺構を確認することができない。 小田原高校の統廃合問題から発掘調査が行われ、大規模な障子堀が発見されている。 詳しくは、北条早雲公園を創る市民協議会のサイトをご覧ください。 小峯地区には国指定史跡に指定されている小峯大堀切など、遺構が良く残っている。 城域は水之尾口から海岸線に至るまでの大変広大な地域で、早川口には二重土塁が残されている。 |
| 小峯地区 | ||
![]() 小峯大堀切 |
![]() 小峯大堀切 土塁 |
![]() 小峯大堀切 |
![]() 小峯大堀切 繋ぎ堀 |
![]() 小峯大堀切 土塁 |
![]() 小峯大堀切 堀下より望む |
| 水之尾口 | ||
![]() 水之尾口門跡 |
![]() 水之尾口虎口跡 |
| 早川口遺構 | ||
![]() 早川口 二重土塁跡 |
![]() 早川口 二重土塁跡 |
| 本城地区 | ||||
![]() 八幡山古郭 |
![]() 本曲輪付近の 土塁 |
![]() 本曲輪下の 空堀 |
![]() 鍛冶曲輪土塁 |
![]() 板橋見付跡 |
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